情けは人の為ならず ~結の独り言~

今回は、この記事に続いてもう一つ、私の過去話 というか大事にしていることを話そうと思います。

 

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 最近テレビなどでも、親の立場から「ゲームばかりしていて、勉強の方になかなか進まないから、やめさせたい→ゲームを取り上げるなどの行為に走ってしまう→でも、成績は伸びない」どうすればいい?みたいなことを聞きますが、このような結果になるのは、まぁ当たり前だろうな と私は思います。当人が熱中していることを、価値観が分からない他人が無理やり(言いかえれば力を行使して)奪っているわけですから。
浦島太郎の玉手箱だと思ってください。人は、開けてはなりません と言われると開けたくて、開けたくてうずうずしてきます。それと同じで、まだ勉強をしてないのか。ゲームばっかりするな!と そればかり言い過ぎても、逆の心理が働いて、効果までもが反転してしまうのです。

 

話は変わりますが、私はかつて、ポケモンが大好きでした。周りから何を言われようと思われようと、大人になっても自分はポケモンをやり続けるのだろう と思っていました。自分がこれほどまでに熱中している大好きなものなんだから、この余熱(ほとぼり)が冷めることはない と。
しかし、その時は突然に、何のきっかけもなくやってきました。
本当に前兆もなく、嫌な思いをしたわけでもないのに、なぜか「もういいかな」と思ったんです。
今思えば、物語をクリアしてしまうと、あとは大戦ばかり。読みのたやすいCPUと競うか、対人と競うか そのどちらかしかありません。少なくとも私には、ですが。
そうなると、最初は人と対戦できるのが楽しくて、個体育成や厳選と呼ばれる作業をかんばっていたんですが、とにかくめんどくさい。特に一回のゲーム中で1,2匹しか手に入らないポケモンの捕獲から個体値。さらに性格…突き詰めていけなくはないですが、根負けしました。やっている人ならこの面倒くささ、分かると思います。そうすると対人におけるポケモン勝負にこういった妥協は許されないので、おいてきぼりをくらい、距離を置いているうちに、だんたんと「ポケモンそのもの」に対する熱が冷めてきた。と分析できます。それ以降、昔の名残で調べたり、記事に書いたりはしますが、以前ほど熱中することはありません。

 

このように、人は四季が移り変わっていくのと同じく、興味や趣味・思考なども自然と周りの影響を受けながら(時には自分自身で考えを持って)変わっていきます。そこに他人の過干渉は必要ありません。むしろ風のむくまま、気のむくままに。当人に委ねるぐらいでいいのです。熱中しているときは、はたからみれば、「この先、心配だなぁ」と思っても”釘をさす”気持ちで「それぐらいでやめときなよ」なんてサラっと言う。これで十分事足りると思います。

一方で、ついつい…、じゃあ、どうすればいいの?という方もいるでしょう。親子なんだからそれも当然。もう一度、改めて私からも質問です。どうすればいいと思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、『ゲームに代わる価値のあるもの”も”紹介する』こと です。
私の場合は、外に出向いて、山や海の景色を見ながら鳥や虫の声を聞いたり、目線を下に向けて季節の草花を感じてみたり。ジャンルにとらわれず、様々な本を読んだり。ですかね。友達とお茶しながら近況を報告する なんてのもいいでしょう。
ざっくり言うと、自分の趣味や時間ができたらしよう・したい と思っていることを紹介すればいい。この時も、相手は我が子なのですが、あまりそこを意識しすぎずに。他人にアピール(プレゼン)でもして、「よければ、この後一緒にどうですか?」ぐらいの軽い気持ちで
そうすると、お母さん(お父さん)って、こんなこと好きだったんだ。とか、自分もやってみようかな。などと視野を勝手に広げていきます。子供の想像力(創造力)はバカになりません。一度それに火が付くと、どんどんどんどん枝葉がのびます。のびのび太です(笑)
そこまでくれば、もう私たちが心配する暇もなく、むしろ私たちの方が追いつけないほどに、視野がぐんと広がり、多趣味になって、感性豊かで楽しいライフを送れることでしょう。

ここで大切なのは、『価値のあるもの”も”紹介する』こと。
ここで私が、価値のあるもの”を” にせず、”も”にしたのには意味があって、この”も”には、『ゲームに価値があるけれど、それだけじゃないよ』という意味合いを込めました。つまり、他人の価値を奪ったり失くしたりするのではなく、それがこの人の価値の一つであることを認め、その上で尊重する。ここがポイント。

そうするとなにが良いか?
それは、自分の時間を持つ(作る)ようになり、自身も穏やかな気持ちでいられること。穏やかな気持ち っていいですよ~。時間がゆったり進みますから。
今まで見逃していた、新たな発見もある かもしれません。
そして何よりイライラが消える(少なくなる)ので、仕事や対人関係のトラブルもなくなる かも?しれません。(あっても、穏便に済ませられるでしょう)

どうですか?最初は「子供のしつけ(教育論)」的な話をしていたのに、いつしかあなた(私)自身の有意義な時間の使い方 と話が他人→自分に向いてきていることに気がつきませんか?
この話のミソはここで、結局は、人のために と思ってやったことは、自分に返ってくるし、そうあろうと思えば、まずは自分がアクションを起こさなければならない。
そうすると、それを周り(この場合は子ども)が感じ取って自然と良サイクルで廻っていく。『情けは人の為ならず』です。

人生って、不思議なものですね。