世界に一つだけのトング

私は小学校の時、魔法にかかったかのような感動を覚えました。
まだ背が小さかったので鉛筆など落とし物をした時には自分で拾うことができなかった。車いすに乗っている人もしくは乗っていた人なら、一度は経験したことがあるはずです。
そんな時は、とても歯がゆい。周りのみんながフツーに当たり前に出来ていることが自分には出来ない。出来るにしても相当時間がかかる。私はそんな自分にとてもイライラしていました。

けれど、小学生っていいですね。まだ今ほど詳しいこと、難しいことが分からないから、純粋なんです。私もあの頃までは、自分の知らない物や事・景色などに出会う度わくわくし、後さき考えずに目の前の事にとにかく一生懸命全力を尽くす。そんな希望に満ち溢れたキラキラした日常が広がっていたんです。(今は戻りたいと願っても、簡単に戻れる日常ではないですが)

 

私が経験した魔法。それは、私が先ほどのように、落とした物が拾えず困っていた時。その様子を見た先生が、一つのトングをくれました。タネも仕掛けもない、至ってフツーのトングです。
私は、「今の状況を解決できるモノ」として差し出されたトングに思わず「これ、何?」あまり台所に立たない私でも、スーパーやパン屋などでトングを見たことがあったので、トングが「物を挟んで取るもの」であることは知っていました。けれど、これで食べ物などではなく、落とし物を挟めと言うのか。そもそもトングをこんな使い方で使っていいのか?  その当時、だいぶ困惑したのを今でも覚えています。
それが頭の中だけで抑えきれなかったのか、気づいたら「これ、トングちゃうん」と声に出していました。すると「そうよ」と先生。「けどこれって、よう(よく)分からんけど食べ物とか挟むときに使うよね?」「普段はそうやけど、これを落ちた物拾うのに使ったらいい。挟んで取るのは使い方一緒やろ?」

私はトングを握ってカチカチ鳴らしながら、言われるがままに落とし物を拾い上げました。すると、どうでしょう!今まであと少し、取れそうで取れなかったものが取れる取れる。今までのモヤモヤが嘘のよう!それから1年間私は、どこへ行くにもトングと一緒。さすがに学校から帰るときは置いて帰りましたが、それでも翌朝学校に来ると机にトングがちょこんと入っている。まるで生きているかのように私を見ると銀色の光り増すトングに、「今日もよろしくね」と気持ちを込める。それが毎日の日課であり、楽しみでした。

 

そんな様子を見ていた先生がある日、「どこへ行くにもトングと一緒。君とトングは”相棒”やね」。

”相棒”その言葉が私にぴったりとはまりました。
今思えば、おかしな話です。何の変哲もないフツーのいちトングを”相棒”だなんて。
けれど、、これは普通のトングじゃない。私を変えてくれた相棒であり、世界に一つだけのトングなのだ と。
私は、そのトングをとても誇りに思っていました。