ある日の夢の噺

あれは、1週間ほど前になるでしょうか?最近夢を見る機会が多いなぁと思っているのですが、とりわけ印象に残った夢があります。
それは落語家で笑点などでおなじみの故桂歌丸師匠が登場したのです。
私は東西の落語家が一堂に会し、大喜利をする落語会を見に行っていたら、そこには座布団1枚の上に何人かの落語家たち。そして司会は桂歌丸。そんな絵図です。
私は「歌さん、大丈夫か?」と心配しながら見ていたら予想は的中。司会の最中に咳をしだしてみるみる顔色が悪化。会場にいたほかの観客たちもざわつきだして少しパニック状態になっていたら、ウグイス嬢のような声で「ただいま、司会を交代するのでしばらくお待ちください。」と交代を知らせるアナウンス。そして交代先として出てきたのは、事態が呑み込めず、自身もパニック状態の春風亭昇太師匠。

とここで映像がぷつりと切れ、私はしばらく動悸とうめき声にうなされます。うなされている間のことはよく覚えていませんが、気持ち悪いことはなく、確かに息苦しさなどはあるものの、「これはきっと治まるだろう」という確信と、何かありがたいような気持ちになっているのは覚えています。そこから次に意識が戻って時計をふと見ると夜2時56分。
動悸に襲われるのは、これがはじめてというわけではなかったので、何回か前からは「いつ頃、こんなことがありました」とカウンセリングなどに行った際話せるよう、動悸が来る一瞬の隙を見計らって時計を見るよう心掛けている私は、「これは来るな」と思ったので、歌さんの夢を見る前にケータイを開けてみてみると、夜2時43分。
時間にしてうなされていたのは約15分ほど。映像がぷつりと切れ、真っ暗な空間でうなされていた私は、おそらくこれが歌さんによる説教なんだろうとうすうす気づいていました。何を言われたのか鮮明には覚えていませんが、最後にははっきり「あんたはまだ大丈夫だ」と。笑点の司会時のような(いい意味で)毒の効いた元気な声で言ってくれたのは今でも覚えています。

夢から覚め、意識がもうろうとしていた私は、今のが説教なんだろうとは思っていましたが、歌さんが故人であることも、自分が見た、あるいは受けたものが夢であるという実感も忘れ、ただただ何かいいことを言われたので、書き留めておこう という気が働いて、薄れゆく記憶を懸命に追いながら、覚えている限りの一言一句を書き記したのです。書きながら、あぁ、歌さんって既に死んでいたなぁ。となるとあれは夢だったんだ
などと色んなことが思い浮かびましたが、最終的に思ったのは、丑三つ時には幽霊が見えるなどと言いますが、死者がこの世に降り立つというのは本当なんだなぁと。
まさか小さい時から見ていたあの歌さんから説教を説いていただけるとは。その日の朝、私はとても晴れやかな気持ちになりました。