自分を知り、自分を深め、自分を高める。~第六感の正体は何か~

いきなりですが、みなさんは『第六感』って信じますか?
世間では、『第六感』とか『第三の目』などの名で呼ばれることもあり、信じる派と信じない派でけっこう分かれている。私はこの手の話を聞くとそう思います。「霊的」と、敬遠する方も多いでしょう。

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 でも、安心してください。今日お話するのは、第六『感』と『覚』のお話。
ここでくわしく語るとタネを明かしてしまうことになるので、詳しくはこの時点では控えさせてもらいますが、簡単な言葉遊び みたいなものです。
気軽に下まで読み進めてもらえれば、幸いです。

 人間誰しも『五感』というものがあります。
五感とは、

  1. 視覚
  2. 聴覚
  3. 味覚
  4. 嗅覚
  5. 触覚

の5つです。

私は、ここで不思議だなぁ  と感じずにはいられませんでした。
五『感』といっているのに、実際並べてみると○『覚』と付くものばかり。
このことを初めに考えた時は、この程度でとどまりました。

 

ところで、話は変わりますが、以前の記事にもチラっと書きましたが、私は生まれつき体が不自由です。物事を覚えるのにも、少々時間がかかります。分からないことがあれば、人に聞いて教えてもらうはいいものの、なかなかそのアドバイスがすんなり入ってきません。一回聞いてその通りできると気持ちいいんですが、体がそうはさせてくれません。
そんな時、どうするか?諦めるか・続けるか のどちらかです。何回かやって攻略の糸口が見えてこないものは諦めますが、大抵はそのうち突破口が見えてきます。これは私に限らず、みなさん経験がおありだと思います。例えば、自転車の乗り方や包丁の使い方などがそれに当たるかな?それと同じようなものだと考えてください。私の場合、それの少し時間がかかるバージョンです。
糸口が見えてきそうな段階に入ってくると、頭の中でいろいろ試行錯誤が始まります。
「ここをこうすればいいんじゃないか」「いや、それの前の段階で…」次から次に湧き出ることもありますが、2つ3つしか出ないこともあります。でも、数はどうあれ、自分で考えたことが上手くいったときというのは、この上なく最高です。それが2回、3回と重なると一発目は、「たまたまやったら味わえた快感」で終わるのですが、回を重ねるごとに、「来た来た!もう少しであの気持ちよさが味わえるぞ」と快感に行きつくまでのプロセス(途中経過)も脳内イメージとして自分で可視化できるようになってくるんです。それで、ある程度形ができてくると今度は、人間えらいもんで「もっと快感(達成感)を味わうにはどうすればいいか」と『欲』が出てきます。
そのころになると、例えば自転車の乗り方であれば、基本的な、乗ってこぎだすまでのやりかたは、すでに頭の中にインプットされており、速く風を切って走るにはどうすればいい?とか、ジグザグ道をある程度スピードを落とさずに行くには?とか。基本編ではなく、『応用編』に入ってきているんですね。(私は自転車は乗れませんが。)
ここまでくると、もう基本中の基本は、あれこれ考えなくても脳が瞬時に処理し、体が動きます。よくいう「勘」ってやつです。

話を戻します。
私は、この「勘」こそが先ほども書きました、「第六感」の正体だと思っています。
「勘」と「感」で漢字違いじゃないか!とカンカンの声も聞こえてきそうですが、その対策も用意してあります。先ほどの「基本と応用」のところで私は、「基本中の基本は、あれこれ考えなくても脳が瞬時に処理し、体が動く」と書きました。しかし、基本的な動きは同じでも、どの順番でやるか や、教えてもらったいくつかのやり方のうち、どれを選ぶか は人それぞれ違います。(人が違うのにみんな同じやり方だとなんだかこわい…。)そう、みんなそれぞれに一つのやり方を自分の『感覚』「カスタマイズ」しているんです! ハイ、つながりました。
もう少し、補足説明しておきますと、先ほどの、「一発目の”たまたまやったら味わえた快感”」は、細かいプロセスなど分かっていないので、まだ『勘』の段階。
それがやがて、回数を重ね、「快感に行きつくまでのプロセス(途中経過)も自分で分かる(=感じることができる)ようになってくる」ここまで来ると『感』ですね。もう”完”全な『感』です。

 

半ば強引だったような気もしなくもないですが…
とにかく、『勘→感』へと昇格(定着)させるには、自分はどんな性格なのか?何が得意(苦手)なのか など。まず、簡単なところから「自分を知る」ことが大切です。
そして、ある程度それがわかって来たら次は、同じ要領で少し難しい課題。例えば、
「自分は、人の多い発表会の場で緊張しやすいのか、しにくいのか?もし、しやすいなら、そんな時自分はどういう行動をとる傾向にあるか?」など、単に「好き・嫌い」や
「得意・苦手」で終わらせるのでなく、例題であれば赤字の部分。もう少し、「深く考える」ことが大切かなと思います。
物事にぶつかって、考える。この行為自体は、言ってしまえば「今日のお昼何食べよう」これも「考える」のなかまですから、このレベルまで含めると、たくさんその機会はやってきます。(なにも「今日のお昼」レベルで深く考えろ とは言いませんが)

物事にぶつかって、考える(た)時、深くそれを考え、見つめる…。そうすると「自分って、こんな人間なんだ」と、新たな発見に出会える かも知れません。そうして「自分を高めて」いけば、きっと人生は、1日1日は、楽しいものになるはず。世界が変わって、輝いて見える なんてこともあるかもしれません。
少し大きく言い過ぎた感も否めませんが、少なくとも、あなたの「感受性」は豊かになるでしょう。私がそうなったと自身で感じているように。
私も含めて、どうせ同じ1日を生きるなら、少しでも楽しく、実りや発見の多い1日にしたいですよね?