人生を生きるということは『進行形』である ~結の独り言~
突然ですが、みなさんは現在形や過去形、現在進行形 などといった単語・文法を中学校や高校で習いませんでしたか?
私がそれを習った時、先生は横線の上に縦線で区切ったような図(下図のような)でよく説明してくれました。
このように時間には過去、現在、未来と3つが存在します。
ところで、人間は現在(いま)しか生きられません。あるときは過去の思い出に浸り、あるときは「あの時こうしとけばよかった」と思う。でもいくら戻りたくても、戻れない…。
一方、未来のこともある程度予想・予測はして動きますが、完全に未来を覗き見ることはできません。
このように人は、現在しか生きることのできない種族の一つです。
人は現在しか生きられませんが、いずれの時間も動きを持っています。それが
進行形
と呼ばれる形です。
では、人はなぜ、自分の力ではどうすることもできないと分かっていながら、時に先ほど書いた『後悔』や『予測』などをして過去や未来の時間軸に干渉しようとするのでしょう? そのヒントは「いずれの時間も動きを持っている」ことにあります。
分かりましたか?
この問いに関する私なりの答えは、『「過去」「現在」「未来」ともにそれぞれの時間軸の中で現在(いま)も動き続けており、それが私たちの存在する現在に繋がっている、あるいは繋がるから』だと思います。
少しニュアンスがはずれると思いますが、わかりやすく言ってしまえば、『パラレルワールド』のようなものだと思っていただいてかまいません。
「過去」「現在」「未来」の3つの時間軸とは別に、私たちが生きる『現在(いま)』という時間軸が「現在」という時間軸の限りなく近く、時に2つが重なり合うぐらいの位置に存在し、それぞれの時間軸が影響を及ぼし合っている。
しかし、なぜ4つなのか?「現在」と「現在(いま)」は同じものではないのか?
いいえ、ちがいます。なぜなら『現在(いま)』は、人それぞれ、もっと言えば生物すべてが違う『現在』を生きていて、それらに決して同じものなどないからです。
私は”私たちが生きる『現在(いま)』という時間軸が「現在」という時間軸の限りなく近くに存在し”と書きましたが、基本『現在(いま)』という時間軸は3つの時間軸と孤立していて、それが、ある条件が揃った一定の時間だけ他と重なることで、影響を受ける。皆既日食とかと同じです。
このような現象が1つではなく複数個で起こり、そのなかで『自分が生きている現在』と『他人が生きている現在』が交差・接触し、より複雑な集合体・軸になっている。
これが私たちが『生きる』ということだと、私は思います。
人は現在(いま)しか生きられない。人生を生きるということは『進行形』である。
だからこそ、それぞれの”今”、私にしか生きられない”今”を精一杯生きたいと思うのです。