仮面ライダービルド ~記憶があるということ~

『記憶』

みなさんは、こう聞くとどんなイメージを持ちますか?
記憶とは、

ものごとを忘れずに覚えていること[1]。また覚えておくこと[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6

 

このように定義されています。wikipediaより引用。
記憶する能力があるからこそ、人間は経験や知識をその場限りのものではなく、長い間覚えたり、過去に犯した失敗と同じようなことにならないために記憶して学習する。ことが可能になるのです。また、記憶は自分を自分たらしめるもの。極端を言えば、夜寝て、朝起きた時、「ここはどこ?わたしはだれ?」にならないのは、昨日までの自分のデータを脳がきちんと保管しているから。

でも、記憶があるって便利あるいは都合のいいことばかりなのか?
私は仮面ライダービルドをみていると、そう思えてなりません。

 仮面ライダービルド・桐生戦兎、そして仮面ライダーグリス・猿渡一海。この二人は、両者とも仮面ライダーになる前に人体実験によって記憶を消しています。

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記憶を消す前は、農地の大地主だった猿渡。好戦的なのはドライバーの副作用によるアドレナリンの過剰分泌が原因であるにしても、仲間(記憶喪失以前は特に農家)の人間を思う優しさは健在しており…という状態。

一方、桐生戦兎こと、顔を変えられた葛木巧もその例外に漏れず、記憶を消され、改ざんされています。
ここまでみると、散々な二人ですが、自分が「悪魔の科学者、葛木巧本人」であると知ったときの戦兎のように、失った記憶(過去)を知ってしまったがためにさらに苦悩する。本編で本人も言っていましたが「こんなことなら…。」と、さらに後悔することになってしまう。

確かに、人間には「何が起こるのか知る(予測できる)ことで怖さを減らす」という機能があり、そういう意味では、物事を忘れることのないように記憶(記録)することは必須でしょう。しかし、「真実は知らないほうがいいときもある」。この手の言葉に表されるように、本当の事を言ってしまったが故に相手を傷つけた、あるいは本当の事を知ってしまったが故に自分も傷ついた。前述の戦兎もそうですが、このような類はドラマや映画だけでなく、我々が生きる現実の世界でもよくあることだと思います。

記憶があるって、ほんとうに幸せなことなのかなぁ…?
彼らを見ていると私は、真剣にこのことを考えてしまいます。