最近の市場について ~結の独り言~

最近は、いろいろと便利になってきました。
これ1台でこんなこともできる! 1家に1台○○! など。
もっと具体的に言うと、本来は洗濯する機能だけだったのに乾燥機能もついている。
それに使う柔軟剤の方もシトラスの香り ローズの香り など心地のいい気分にさせてくれるというオマケ付き。

電子レンジとかも、最近はAI搭載によっておすすめの料理を教えてくれたり、よく作る料理を覚えて話しかけてきたり などなど本当にパソコンと同じように「自分色に染まる(染める)」というのが普通になってきました。

 

このように、私たち人間が生活する中で技術は日進月歩。日々進化しています。
しかしその一方で、様々な機能を一つに集約させすぎることにより以前のものより壊れやすかったり、また単純にそれらの使い手である我々人間がついていけなかったり…
いずれにせよ、「前のもののほうが良かった」と言う声があるのも事実。

 

 

とはいえもの作りやそれらを売る人たちも商売、ひいては生活がかかっていますから、売れ行きの悪いもの、人気のないものをいつまでも市場に出すわけにはいかない。そうするとどうなるか?
やはり、新しいモノや最新型、より便利な機能を持つモノが出てきます。

そこで私が考えて欲しいと思うこと。それは、古いモノを完全に市場に出さない ではなく、それらも数は多くなくてもいいから、一定数場に出す  という姿勢を忘れないでほしいなぁと思うのです。

現にこれだけ便利で多機能なものが充実(充満)している中で、ステテコに代表される「古着ブーム」や、ハイレゾなどといわれている最新音響機器が売り上げを伸ばす一方で往年のファンの根強い支持により、ラジカセや蓄音機のような、一昔前のものが売れる なんてこともありますよね。

『万人受けする店は”その時”は流行るけれど、長い目で見れば苦しくなる。長く持ちたいと思うのなら、万人受けよりもその道に通じている”マニア”に好まれる店を目指せ』

これは、私が高校時代にある先生が話してくれたことです。その先生はこの後
客層全体を100としたら、マニアは全体の5%ぐらい。目先の利益よりも、この5%に好まれる(気に行ってもらえる)ように。そうすれば、多少値段が高くても、多少行きにくい場所だったとしても、むしろそういう場所である方が、一部の人には人気が出る。そうすると、各種SNSや「○○マニア(通)が愛する店」などの形で世間にも認知され、結果的に残りの95%に属する人たちからも支持され、店は繁盛する。と言ってくれました。

私は、これになるほどと思いました。
この考えを応用すると、どれだけ市場が縮小しようとも、一部の人は古きものを愛して使っているのです。その人たちがいる限り、完全に売れなくなるというのは原理上、ありません。それよりも、万人(大衆)受けばかり意識し、目先の利益を優先し、最新型に市場を一新する。 この行為の方が自分で自分の首を絞めていると私は思います。
従来、市場というのは、自由化させることで競争、つまりは経済の活発化を促すのが目的のはずです。ということは、商品のどこに価値を見出すか。新しい商品の便利な機能を堪能するのか、古き良きを大切にして過去を懐かしみ、あのころの思い出に浸るのか―― それは買い手である私たちの自由であるはずです。

 

もちろん、技術の進歩は素晴らしいことですし、これからもそれによって私たちが過ごしやすくなっていくのだから、それ自体は否定しません。むしろ私のような障害者にとっては歓迎すべきことだと思います。
ですが、今の時代、真に求められているのは、「新しいモノと古いモノ これら2つの『共生』」ではないのか?
私はそう思えてなりません。