悪役が担う物語の軸

仮面ライダージオウが現在放送中ですが、今回は私が同シリーズを約6年間見ていて思うことを綴ろうかなと思います。
早速ですが、私はかなりの悪役好きです。以前にも書きましたが、

 

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 今回はまた少し違う観点から。
それはタイトルにもありますが、ポイントとなるのは軸です。

 


仮面ライダー○○として1年間放送が始まると、それに変身する主人公やその相棒たる人。またその仲間たち…といった「主人公サイド」の人たちを横軸とすると、その反対となる悪役側は縦軸ということになります。こういう分け方が一つ。

そして、1年間物語を通して、製作者側が視聴者側に伝えたいテーマという視点からみると、そのテーマに沿った生き方ないし考え方をしている側が「主人公サイド」で、それと異なる(必ずしも対ではないので反対とは言いません)考え方をしているのが「悪役サイド」これら考え方のぶつかりあい=軸の交差から生まれるのが”ドラマ性”であり、先のリンク記事で書いているのは、「横軸の描き方では日の目を浴びない縦軸だからこそ、そのドラマの『本質』が描けるのではないか」ということ。これについてはリンク記事と内容がかぶるので詳細は省きますが、このような見方以外にも例えば今回のジオウのような「記念作品」の場合。
過去に登場したライダー及び俳優と共演させる のを横軸、そしてその作品で初登場のオリジナルのキャラクターのドラマ(人物の相関性など)を描くことを縦軸とするならば、どうしても縦軸の内容の方が横軸より色濃くなってしまいがちで、もう一方が薄味になり、面白み・インパクトに欠けるという弱点を持つことが多いように感じます。
これはある意味しかたのないことなのですが、そのような中でいかにオリジナルのキャラクター(縦軸)を活かすかというところがポイントとなってくるでしょう。

追記9月29日に発売された「「仮面ライダー」2000~2018全史」のインタビュー記事の中で白倉伸一郎氏も触れていたように、同じことの繰り返しであれば、(20-1)×2(話構成)で38回同じことができるが、それでは視聴者に飽きが出てくるし、その意味ではジオウという作品自体にひねりが必要。また、本作放映中に平成が変わるのだから、年号が変わってまで今のような形でオリキャスさんに出ていたたくのは失礼な気もするし…と書かれていました。やはり制作陣もそのことは意識されているようで。
また同紙の中でジオウのパイロットを担当された、田崎竜太氏は「2003年や2005年など僕らにとって”少し前”を描くより、いっそ江戸時代とかゲイツツクヨミの故郷である未来の時代を描く方がやりやすい」と書かれていたことから踏まえると、今後2068やその先の未来の時代の話にシフトチェンジしていくのかなと思いますね。
先日このあたりについても、この先の玩具情報が出回り始めましたので、別記事で考察などしていけたらと思います。